【レポート】前編・白老のフィールドレコーディング
8〜9月にかけて白老で滞在制作を行った森永泰弘さんから、長編レポートを寄稿していただいたので、前中後編に分けてご紹介します。
前編は、台風とともに白老入りした日の出来事から、北海道胆振東部地震を経てプロジェクトをスタートさせるまで。ぜひ読んでみてください!
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台風21号から胆振東部地震へ
本州で猛威をふるった台風21号が北海道に向かって北上していく中、僕も台風の進路と同じように羽田空港から新千歳空港に飛行機で向かった。荷物を引きとって到着口に出ると、いつもとは違う到着ターミナルの雰囲気に面食らった。どうやら台風でJRは発車の目処がつかず、乗客たちはターミナル内で数十メートルもの列をつくってバスが来るのを待っている。外に出れば、タクシーを待つ乗客たちでこれまた長い列をなしているではないか。陸路の移動がしばらくは難しいと思った僕は、ひとまずコーディネーターの橘さんに連絡し、空港内で待機することにした。数十分待って彼女と落ち合うと、タイミング良く白老在住の星さんが車で駆けつけてくれた。僕と橘さんは星さんの車に乗り込み、長い列をなしている人たちを横目に白老へ向かうことになった。
台風とともに白老に到着し、宿に荷物を預けた後、飛生芸術祭が開催される飛生アートコミュニティーに伺った。台風の影響で大木が倒れるという出来事もあったようだが、主催者チームが二日後に迫る芸術祭の開催に向けて汗だくになり作業を進めていた。小学校の一室で彼らと談笑しながら夕食をご馳走になり、宿に戻ると急に眠気が襲ってきた。いつものようにあっという間に熟睡するはずだったが、なぜかこの日に限って夢を見ていた。僕はその夢を今でも鮮明に覚えている。
おばちゃんたちがワイワイ話をしている。離れたところで、中国南部辺りの民族衣装を纏った少女がこちらを凝視している。近くのおばちゃんに「彼女は誰なんですか?」と尋ね、「あの娘は近くに住んでる子だから気にしないでいいの」と素っ気ない返事が返ってきた瞬間、映画のカットが変わるように少女の顔のクローズアップが僕の視界に入ってきた。その瞬間、部屋中が小刻みに揺れ始め、自分の携帯電話から聞いたことのない警報音がけたたましく鳴り始めた。夢か現実かを把握するまでに結構な時間がかかったはずだが、実際はほんの数秒だったのかもしれない。僕は、これは凄い地震になるなと察した。揺れがさらに強くなって身体を起こそうとがんばるが、そんな気持ちとは裏腹にどんどん身体は硬直していき、ただただ揺れが終わるのをじっと待つしかなかった。
地震が終わると上の階にいた橘さんが降りてきて、「今の地震すごかったですね」と携帯電話の明かりを顔に翳しながら興奮して話しかけてきた。他の滞在者も慌ただしく廊下に出てきたが、おそらく、みんな何が何だかわからない状態だったのだろう。宿は停電し、廊下の端っこにあるトイレの電気だけが付いていた。揺れが落ち着いたと思ったら、余震が何度もやってくる。部屋に戻って再び就寝を試みるが、地震以上に、頭の中では先さきほどの夢が気になり始めて、ただ携帯電話の明かりを頼りに時間が経つのを待っていた。
地震直後、電話は3Gと4Gが入れ替わりながらなんとかインターネットに接続できていたのだが、翌朝ほとんどつながらなくなっていた。同時に電話はほとんど使いものにならなくなっていた。飛生の人たちや滞在制作を一緒にするアーティストの曽我英子さんは平気か?津波は?など事態の深刻さにようやく気がつき始めた。最悪の事態を想定した上で、みんなで同じところにいた方がいいということになり、僕たちは曽我さんが滞在している宿に移ることとなった。
近くのコンビニへ行ってみたものの、ほとんどの商品は既に品薄で、ミネラルウォーターもなければ、オニギリもない。僕は若干の食料を購入して、橘さんと曽我さんと宿に戻り、夜に備えておとなしく待機することにした。蝋燭をテーブルに置いて、ラジオに耳を傾けながら時間が過ぎるのを待っていた僕たちは、初対面にも関わらずいろんなことを話した。そういう時間の中で緊張感も自然と緩み、距離感も縮んでいった。
停電で外に出ると辺りは真っ暗闇なのだが、上空は無数の星で満天に照らされていた。全方位から聞こえてくる圧倒的な虫の声は、視覚が閉ざされた僕たちの耳をより一層刺激していく。いつもとは違って見える星、違って聴こえる虫の音、違って感じる空気。電気が止まるだけで、僕たちの身体的な感覚がより野生的に感じる。次第に暗闇の中でも、誰が何処にいるのかわかっていくようになった。文明化された社会で当たり前のように電気と共に暮らしていると、自然との付き合い方というのも変わってくる。
数年前にボルネオ島のダヤック族の集落へ行った時、ジャングルにある電気が通らない村で、住民たちと夜中にお酒を飲み、お互いの顔が見えない中、ひたすら笑い声だけでコミュニケーションをとっていた。誰が笑っているのかは関係がない。ただそこに笑いがあり音がある。その音を聴き分ける必要なんて大したことではなかった。そこに音があり、それを聴く。それが彼らにとって大事なことなんだと感じた。その音こそ周囲をまとめ環境を変えていく。僕はダヤック族の音楽をレコーディングさせてもらいたくて、数十時間かけてこの村にやってきたが、催事日程と合わず結局レコーディングはできなかった。しかし彼らから、人間でいること、音を聴くこと、環境を受け入れることの大事さを教わることができた。
先進国にいる僕たちの生活の半分以上は、何らかの形で電気に頼っている。録音なんて電気がないと何もできない。その電気が寸断されたとき、より周囲の環境に自らの感覚をそばだてて、いつもとは違う世界に耳を傾けることができる。今まで以上に「聴く」という行為が自分の生命と密接に関与するような感じだ。今回の地震がもたらした経験は、ボルネオに行った時とは比べものにならないくらい大事な何かを教えてくれた。音を録るということは聴くことと同じで、聴くという行為には環境が伴う。
今回の白老での滞在を通じて、まず僕は聴くことから始め、その中で録ることの意義を問い直していくことから始めないといけないと感じた。今回のプロジェクトでは、まず白老周辺のサウンドスケープを聴きながらフィールドレコーディングをしていくことで、作品にするべき何かがわかってくるだろうと思い、僕のプロジェクトはスタートした。
※中編へ続きます!
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