【レポート】アースダイブ白老 “アイヌ語地名から探る土地の記憶”

講師に谷本晃久氏、アテンドサポートにマユンキキ氏を招いて毎年実施しているプログラム「アースダイブ白老 “アイヌ語地名から探る土地の記憶”」。
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本プログラムの継続開催によって、定番人気エリアとなった「アヨロ・虎杖浜周辺」を今年度も散策フィールドとし開催しました。


前日からの悪天候で予定していたフィールドワークは開催できるかギリギリまで様子を見ることに。

午前中の座学の様子です。

午前中の座学では資料をもとに講師である谷本先生のお話を聞きながら白老の虎杖浜・アヨロの歴史や実際に土地にまつわる伝説やそれに関連する地形なども学び、マユンキキさんによる指導の元、参加者の皆さんと「アヨロ村」という輪唱歌を練習しました。

散策時に皆さんと一緒に歌うそう。


あれあれ?なんだか外が急に明るくなってきた!


座学が終わり、参加者さん同士楽しく昼食を囲みます。
もうこの頃には雨は上がり、太陽が見えるようになっていました。
キセキ!午後からのフィールドワーク予定通り行うことになり、心躍ります。

そして座学の内容を振り返り、皆さん話も盛り上がっている様子。



外に出てみると気温も暖かく、用意していたジャンバーも必要なくなり

汗をかくぐらい気温も暑い~!

恵まれた気候の中でプログラムを進めることができました!!!


まずはスタート地点まで車移動~
虎杖浜にある【観音寺】さんの駐車場を解放してくださいました。
資料と地図を片手に第一ポイント【虎杖浜神社】を目指し進んでいきます。

皆さん資料を見ながら真剣な様子でお話をきいておられました。


続いて目指すのは【アヨロ川】
10~11月には鮭の遡上を間近に見ることができる貴重な場所です。

自然の生命の営みを感じられる光景でした。
続いて向かったのは【ポンアヨロ海岸】伝説や言い伝え、伝承の逸話となった地勢や遺跡などが数多く残る場所。
俱多楽湖(=クッタルシト)から流れ出るポンアヨロ川が注ぎ込むこの河口付近は、

古地図にもアイヌ語地名がたくさん書き残されています。

そこからさらに虎杖浜にそびえる比高20mほどの台地先端部がカムイエカチャシの跡となっており【カムイエカシ チャシ】と記された道を通り【アヨロ鼻灯台】を目指して坂を上っていきます。砦としての役割のみならず、神聖な場所として、あるいは見張り場として日常的に使われていたと考えられているそう。(カムイ=神、エカシ=長老)

これがかなり過酷な坂で、手すりにしがみついてよじ登るスタイルww

必死に登ってみんな汗だくになってます。

後半はTシャツ率が上がっておりました。

なんとか到着~

まさかこんな晴れるなんて、誰もが予想できなかったですからね~・・・笑
さあどんどん先へと進んでいきます。

この巨大な窪地(凹み)が【オソルコチ】”神様の尻餅の跡”という意味の、「osor-kot」という地名が付いた場所です。

”昔、巨大な神様(創世神/処によってはオキクルミ、奥地ではサマイクル)が、獲った鯨ヨモギのを串に刺して焼いているうちに居眠りをしいてしまった。そのうちに突然その串がボキッと折れ、その音に驚いて尻餅をついた跡。”というお話が由来。なんともおちゃめな伝説。

さらに奥まで進み行き止まりとなったところで次は来た道を戻っていきます。

灯台のふもと迄戻り、次のポイントまで車で移動します。
目指すは【アフンルパル】”あの世への入口”と言われる場所です。

午前中にマユンキキさんと練習した「アヨロ村」の輪唱歌を【登別漁港】で歌います。


マユンキキさんのアドヴァイスもあり、参加者さんは魔よけのお守りとしてヨモギの葉っぱを摘んでいました

【アフンルパル】到着~
アイヌ民族の世界では、人が死を迎えると肉体から霊が抜け出し、自分のコタン(集落)近くの洞窟を通ってあの世へ行くと考えられていたそうです。
道をさらに奥まで進むと海へと繋がっており、壮大な景色が広がっていました。




3年目の「アースダイブ白老」でしたが、毎年参加の方も初参加の方々も、とても楽しんでいただけた様子で、継続的して参加したいという言葉も多くいただきました。

古地図や資料を片手に、アイヌ語地名が息づいたその時代へバーチャルなトリップを試みるこの企画は、毎年たくさんお学びと共感があることがスタッフ一同実感できました。講師の皆様、ご参加頂いた参加者様、ありがとうございましたm(_ _)m !!!

本プログラムにて2020年度のプログラムはすべて終了となりました。

ウイマㇺ文化芸術プロジェクト

ウイマㇺ文化芸術プロジェクトは文化芸術を通じた交易・交流の様々な場を人、地域、社会へ創出し、時に地域社会の課題解決への貢献に一躍を担う活動を目指している。上述のウイマㇺの意味解説の中では、初期の対等性と共生の形態を尊重し、多様なアートプロジェクトの展開や地域内外との交易・交流を通じ、期待を込めて現代の「ウイマㇺ」の実践を試みる。